古事記下巻・巨木伝説ゆかりの地
高石市に鎮座する等乃伎神社は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を主祭神とした延喜式の式内社です。
創建は、天平宝四年(奈良時代752年)とされ、大変歴史のある由緒深い古社なのです。
「等乃伎」の名は「殿来連(とのきむらじ)」という中臣の氏族が、かつてこの地に居住していたことが由来と伝えられています。
鳥居をくぐると、穢石(けがれいし)という巨石が祀られていました。
社殿にお詣りをする前に、この穢石に両手で触れると自身の穢れが祓われるそう。
実際に触れてみると、不思議なことにスッキリとした気持ちになりました。
本当に心身の穢れが落ちたのかもしれません!Σ(゚Д゚)
等乃伎神社でしか手に入らないお守りを手に入れるべし
等乃伎神社の授与所の壁にずらりと並んでいるのは約400種類近くあるお守りやお札。
定番の厄除御守や安産祈願御守はもちろん、よそでは手に入らない等乃伎神社オリジナルのお守りやお札もありますよ。
ご自身に合ったものを手に入れてみてはいかがでしょうか?
ご自身に合ったものを手に入れてみてはいかがでしょうか?
ところで、等乃伎神社がこの地に伝わる「古事記・巨木伝説」ゆかりの地であることをご存知でしょうか。
古事記には、以下のような記載が残されています。
当社に伝わる巨木伝説
仁徳天皇の時代、「兎寸河(とのぎがわ)」の西に1本の巨大な樹木がありました。
朝陽を受けると、その影は淡路島にまで達し、夕陽を受けると、高安山をも超えるほどのものでした。
この巨木から船を造ったところ、進む速度が速く「枯野(からぬ)」と名付けられ、淡路島より天皇の飲料水を運んだそうな。
しかし、枯野が壊れてしまいました。
そこで枯野を浜辺で焼いて塩をとることにしました。
灰になった木と塩の中にどうしても焼け残る木がありました。
「ここだけ焼けずに残るとは、これには何かの力が込められているに違いない」と磨いてみると、
そこで枯野を浜辺で焼いて塩をとることにしました。
灰になった木と塩の中にどうしても焼け残る木がありました。
「ここだけ焼けずに残るとは、これには何かの力が込められているに違いない」と磨いてみると、
小さな船の形をしていたんだそう。
船の形をした木に弦を張って、琴を作ったところ、その音は七里まで響くほどのすばらしい楽器になったそうです。
上記は、境内にも「等乃伎神社縁起」
また、「とのぎ」という言葉は、古代新羅語の「日の出、朝日」という意味があります。
巨木伝説から見ると、夏至の日の出を高安山の頂上で拝み、また、高安山からは、冬至の日に当社の方角に日が沈むことになります。
つまりこの地は、高安山から登る夏至の朝日を祀る場所であり、そして巨木信仰から古代太陽信仰の聖地だったのです。
つまりこの地は、高安山から登る夏至の朝日を祀る場所であり、そして巨木信仰から古代太陽信仰の聖地だったのです。
非常に興味深いお話ですよね♪
ちなみに「枯野」から現在の「カヌー」になった説もあるんだとか…。
ちなみに「枯野」から現在の「カヌー」になった説もあるんだとか…。
ぜひ、等乃伎神社へ参拝してみてくださいね。
等乃伎神社
大阪府高石市取石2-14-48
TEL:072-271-0553